マヤ原産、ココラ様式の円柱型陶器。
オレンジ色の土器に彫刻が施されています。口広げ加工が施された側面部には、縁を囲うように帯状の象形文字が刻まれています。一方の側面にはカウィル神と思われるマヤ神を、もう一方の側面には球技の競技者をかたどった彫刻が施されています。 彫刻が施されたココラ様式の陶器は、メリダ南西部の恐らくココラやマスカヌなどの小さな村から古典期後期に発祥したと考えられています。陶器の形状としては、いわゆるプーク様式の影響が見られるほか、明らかに硬質土器の部類に入ります。エリートの儀式用または葬儀用の器として使われていたと思われるこれらの陶器は、その後マヤ低地全体で広く取引されるようになりました。
【マヤの球技について】 球技はマヤ人にとって非常に神聖な意味を持っていました。それは彼らの宗教の延長線上にあり、マヤの神話にある双子の英雄を再現したものともいわれています。マヤの神話では、地底世界からやって来た死神と球技で戦った双子の英雄の快挙が語り継がれています。死神との戦いに勝った双子は、天に昇り太陽と月になったといわれています。ボールは月と太陽、競技場は地球を表していると考えられています。太陽や月のように、ボールは常に空中に浮いていなければなりません。多くの兵士や王が、この球技で激しく戦いました。時には敗者が殺され、その首が競技場の前に飾られることもありました。 球技は、幅約25フィート、長さ75フィートのI字型の競技場で行われていました。ボールには直径6インチのゴム製のものが使用されていました。競技者は、ボールから体を守るための腕当てや腰当てを身につけていました。 球技はバスケットボールとバレーボールとサッカーを合わせたようなもので、2~11人からなる2つのチームで行われていました。地面から約27フィート離れた場所に設置された小さなリングにゴムボールを入れて得点を争います。競技者は、手や足を使わずに、腰や大腿部や前腕などの体の部位のみを使ってボールを動かし続けなければいけません。 リングにボールを入れるのは非常に難しかったため、観客は見事ゴールできた競技者に衣服や宝飾品を差し出さなければいけませんでした。そうした理由から、観客はボールがリングに入ると競技場から逃げ出したといわれています。
古代マヤの球技場