モチカ 人面形像土器 狐
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古代ギリシア アッティカ 黒像式レキュトス ヘラクレスとネメアのライオン

文化様式 アテネ
原産   アテネ
年代   紀元前500年〜450年頃
素材   テラコッタ
大きさ  H22cm
価格    お気軽にお問い合わせ下さい。

ネメアの獅子と戦うヘラクレスが描かれた珍しいレキュトス。
ネメアの獅子は、アルゴリス地方のネメア谷で人や家畜を襲った刃物を通さない皮を持つ大ライオンです。王エウリュステウスがヘラクレスに12の仕事を命じましたが、ネメアの獅子退治はヘラクレスの最初の功績でした。ヘラクレスはネメアの獅子を洞窟に追い詰め、獅子の首を締め上げて殺しました。ヘラクレスは殺した獅子の皮を剥いでマントを作り、以後それは彼を最も象徴する姿として知られるようになりました。この獅子はその後ヘラによって星座にされました。
【ネメアの獅子】クレオナイとプリウスの間に位置していたネメアと呼ばれる山間の谷には、テューポーン(またはオルトロス)とエキドナの子であるライオンが住んでいました。(Hes. Theog. 327; Apollod. ii. 5. § 1; comp. Aelian, H. A. xii. 7, Serv. ad Aen. viii. 295.)王エウリュステウスは、ヘラクレスにこの怪物の皮を持ち帰るよう命じました。クレオナイに着いたヘラクレスは、モロークスという名前の貧しい男性に温かく迎えられました。この男性がヘラクレスの勝利を祈りいけにえをささげる準備をしていたため、ヘラクレスは男性に30日待つよう説得しました。そして30日経っても彼が戻ってこなかったら、英雄としての彼にいけにえをささげるようこの男性に頼みました。30日が過ぎてもヘラクレスが戻ってこなかったため、モロークスは英雄のためのいけにえの準備を始めました。ちょうどそのとき、獅子の死体を持ったヘラクレスが戻ってきて、ヘラクレスとモロークスは共にゼウスにいけにえをささげました。この獅子にはこん棒も矢も効かなかったため、ヘラクレスは獅子のねぐらの一方の入り口を塞ぎ、もう一方の入り口から獅子を追いつめ素手で獅子の首を締め上げました。しかし、テオクリトスによると(xxv. 251, &c.)、実際の戦いは洞窟ではなく野外で行われ、ヘラクレスはこの戦いで指を1本失ったといわれています(Ptolem. Heph. 2.)。ヘラクレスが獅子の死体を肩にかけエウリュステウスの下に戻ったとき、エウリュステウスはヘラクレスの絶大な力に恐怖を感じ、ヘラクレスに残りの仕事を町の城壁の外で行うよう命じました。(Diod. iv. 11; Apollod., Theocrit. ll. cc..)