メソポタミア 女性の人面像
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メソポタミア 女性の人面像

文化様式 メソポタミア
原産   シリア・マリ
年代   紀元前2500年
素材   カルサイト
大きさ  
価格    予約済

白色カルサイト製祈祷像の断片。丸い顎、直線状の細い唇、突き出した鼻が特徴的な卵顔の顔には祈りの表情が描かれています。眉をかたどった彫刻の下には、(恐らく貝殻もしくはラピスラズリの)象眼を埋め込むための穴が彫られています。女性の顔には、熱心な礼拝者の内なる安らぎが巧みな彫刻によって描かれています。
元は胸元で合掌して女神に祈りをささげる直立姿勢の女性の姿をかたどった像の断片です。これらの祈祷像は、神への永遠の忠誠を誓う敬虔な信者の象徴として寺院に置かれていました。マリやエブラから出土する像には、この像に見られるような自然主義的な特徴が多く見られます。複合彫刻もメソポタミア南部から伝わったとされています。
シュメール文明は、現在のイラクに栄えた高度に発展した複合的社会です。4000年もの長きにわたって繁栄し続けたこの文明は、現代の私たちが当たり前のように享受している複雑な経済から高度な簿記、文学、国際取引から神話に至るまでのさまざまなシステムを最初に作り出した文化の一つといわれています。シュメール人は、言語の表記に用いられた歴史上最も古い文字である楔形文字を使ってあらゆることをを粘土板に記録していたため、シュメール社会の大部分の推測が可能になっています。例えばシュメールは、互いに富と征服を競い合う様々な都市国家を特徴とする社会であったことが分かっています。また、奴隷を労働力とする大規模な寺院や宮殿を軸とする社会で、連携の拡大を目指し中央アジアやトルコに国境を拡大していったことも分かっています。広範な貿易網を持っていたシュメール人の植民地は、周辺地域のあらゆる場所で確認されています。王制支配を軸とする社会で、その支配方法には君主によりかなりばらつきがありましたが、都市国家ラガシュのエンアンナトゥム王による極端に残忍な厳戒体制はあくまで例外にすぎないと考えられています。地域経済の中心地であった寺院には農産物が持ち込まれ、税務や法的手続きや取引もここで行われていました。記録作業は、祭司の権限化に置かれていた役人の部下として寺院の敷地内に居住していた書記官によって専門的に行われていました。

参考資料:André Parrot, Sumer, 1960, n°138, 151-155 / Pierre Amiet, l’art antique du Proche-Orient, 1977, n°36, 273-278 / Metropolitan Museum of Art, Art of the first cities, New-York, 2003, n°24d, 105.